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2017年もいつの間にか4か月が経ちました、いかがお過ごしでしょうか?
僕はといえば何かと忙しく、毎日元気でやっています。

4月は家族が日本に一時帰国していたこともあり、ひさびさの一人暮らしを満喫しました。
昔好きだった本を引っ張り出して読み、いつもより少し大きな音でレコードを聞き、ビールを飲んで小躍りする。
そんな毎日でした。

せっかくなので家族がいるときにはできないことをしよう、ということで
久々にアジアの街を一人でほっつき歩くことにしました。

1日会社に休みをもらい、向かった先はマレーシアのペナン島。
昔からバックパッカーにはメジャーな街ですが、僕は今まで一度も行ったことがなかったので。
クアラルンプールからマレーシア航空に乗り換えペナンへ到着しました。
何度体験しても、初めての国や街へ降り立ったときの興奮は、とても大好きな感情の1つです。

ペナンの路地から路地へ、なるべく多くの通りを自分の足で歩き、匂いをかいで、写真を撮る。
地図はそこそこに、感覚に任せながら右へ左へ曲がる、汗をかきながらひたすら歩く。
数百円そこそこの屋台でローカルの麺を食べてビールを飲む。
ビールを飲みながら沢木耕太郎「深夜特急2」を読む。
旅先で、その場所について書かれた本を読むと、本の空気感と自分が強烈に同期することを感じます。

ひさびさのそんな感覚に、ふとした時に「このままインドまで行ってやろうか」などと危険なことを思いついて、
すぐにマトモな感情がそれを否定する、なんてことを1人でやっていました。

でも1人の旅行はやっぱりさみしいものがあります。
イントゥ・ザ・ワイルド(荒野へ)でもあるけれど、「ひとりぼっちじゃ何も起こらない」から。

屋台のぬるいビールではなくて、キンキンに冷えたビールが飲みたくなったので、僕はなんだかよい感じのビストロに入りました。
そのカウンターで早川義男「たましいの場所」の文庫本を1人読んでいました。

そんな僕にドイツ人の女の子が声を掛けてくれました。
「Can I sit next to you or are you too busy now?」

大好きなOUT OF STYLeがもし和訳してくれるなら、
「隣にすわって少し飲んでもいい?それともあなた、今とっても忙しい?」ってところでしょうか。
旅先で最もおもしろい瞬間は、予想外の人との出会いなのだ、ということをひさびさに思い出させてもらったペナン旅行でした。

ペン島でもそれ以外でも、4月は竹原ピストルの新しいアルバムを聞きまくっていました。
「一等賞」が最高だ、酔っぱらって少し大きな音で音楽を聞きながら帰る時、いったい何回聞いたかわからない。
残念ながら桜を見る機会はなかったけれど、そんな4月でした。

ホームページを更新しました。
5月はライブが2回あります、来られる方、ぜひ乾杯しましょう。



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10年、と聞いて「ねえ、十年って永遠みたいだと思わない?」というセリフを思い出す人は、
村上春樹フリークか、それよりもとってもレアなOUT OF STYLeの大ファンだと思う。

そんな例を出さなくても、僕たちの義務教育9年、小学校入学式から中学校卒業式と比べて、それより長い年月、と考えれば
その長さは簡単に想像できると思う。
僕たち日本人は「10年」という年のくくりに、何か特別な想いを持っているように感じる。
いや、英語にも「Decade」という10年を表す単語があるくらいなので、その想いは万国共通なのかもしれない。

来週に迫った僕たちFOUR TOMORROWの次のライブは、SUBURBIA WORKSの10周年記念ライブだ。
SUBURBIA WORKSはご存知の通り僕たちの所属レーベルであり、アルバムをリリースしてもらったレーベルであり、
そして、仲間だ。

だから僕たちがSUBURBIA WORKSの10周年記念ライブに出演することは、至極当たり前のことだと思っています。
それが夜行便を乗り継ぎ、片道10時間のとんぼ返りの強行スケジュールであっても、です。

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SUBURBIA WORKS、すなわち代表であるアキラと初めて出会った時のことは正直覚えていません。
自分たちにとって、後にこれほど重要な人物になるのに、初期の頃の印象は極めて薄く、
ほとんど記憶に残っていないのです。

もしかするとこれを読んでくれているあなたもそうかもしれません、いや実はそうだと確信していたりする。
アキラという人物は、そういう男なのだと思ってるので。

ペロペロに酔っぱらって無くしてしまった昔の携帯電話には、彼は「アキラくんサッカーズ」と登録されてました。
確実に一定の距離を保ちながら、社交辞令的に連絡先を交換した、というような印象を持つ登録の仕方だ。
初対面から一気に打ち解けて、肩を組んで一緒に尾崎豊を熱唱した!という種類では、間違いなくないはず。

そんな彼が、なぜかレーベルを始めると言い出した。
そして、その最初のリリースに僕たちとDerangementsのSplitを出したいと言ってくれている。
なんだかとても嬉しかったのを覚えています。
そしてその流れで初めてのアルバムをSUBURBIA WORKSからリリースしました、結成9年目の2009年春だった。

当時、僕たちは自分たちでもレーベルじみたことをやっており(その名前はAMSTERDAM MUSiCと言った)
自分たちの大切なファーストアルバムは、やはり自分たちの手で、ということも可能性の議論として、当然あった。

それでもやはり、アルバムはSUBURBIA WORKSから出すことが、FOUR TOMORROWにとっては必然、
とメンバー一同思えていた。

個人的な解釈だけれど、レーベルオーナーというのは、
ある程度人との関わりの「ハブ」になることを望まれる機会があると思っていて。
何というか正直に言えば、アキラはそういったことにはあまり長けていないように思えるのです。

それでもある日、何かのタイミングで「レーベルを始める!」と決心して、彼は僕たちに声を掛けてくれている。
漠然としていて言葉にしにくいけれど、確実に存在するFOUR TOMORROWの活動の方向性を表現する上でも、
やはりSUBURBIA WORKSが良かったと確信している。

アルバムのリリースに合わせて、一緒にいろいろな場所をツアーし、アメリカにも行き、たくさんの景色を見てきた。。
各地で随分といろいろな話もしたけれど、多くの場合彼は話を聞いていた。
(うるさく冗談を続けるのは長沢さんの役目なので。笑)

要はバランスや関係、表現したい方向性が僕たちと「完全に合っている」のだと思っていて、
僕たちがSUBURBIA WORKSから音源を出す、それ以上に良い理由は無いような気がしています。

最近はライブ活動が少なくなり、リリース面ではお世話になっていないけれど、
やはり節目となる作品は引き続きSUBURBIA WORKSからリリースしたいと思っている。
(これはアキラに嫌われない限り、ですが・・・)

今年20周年を迎えたAsian Man RecordsのMike Parkがインタビューの中でレーベルのあり方を語っていました。
たくさんの大好きな作品をリリースしているだけにとても興味深く読みましたが、バンドに対する愛で溢れていました。
http://dyingscene.com/news/interveiw-mike-park-of-asian-man-records-talks-label-origins-20-year-anniversary-show-and-more/

感心しながら読み切って、そして、でも少し思ったのです。
バンドもやっぱりレーベルに愛を持つべきだし、持てるレーベルと一緒にいるべきだよな、と。

なんやかんやで10年を迎えたわれらがSUBURBIA WORKS!10年で一番大きなパーティーにぜひ遊びに来てください!
**
少し時間が経ってしまいましたが、無事に4/4のFOUR TOMORROW企画"Homewardbound #3"が終了しました。
当日遊びに来てくれた皆さん、本当にありがとうございました。

少し時間を置きながら、戻った日常の中で時々思い返して、自分の考えを整理してました。
改めて、自分たちにとっての原点のような1日だった、と感じてます。

これまでもFOUR TOMORROWの活動を続けてきた中で、
要所要所での大切な決断の後押しは、「時間としては決して長くない君との直接のやり取り」、だったと理解しています。

そんな瞬間がいくつもあって、背中を押された「やっぱり自分たちはこっちに行こう」
そんなことを感じた1日でした。

何人かの人と話をして、ブログで続けたバンド紹介の話をほめてもらった。
企画をするにあたって最初に書いた通り「自分たちで企画をする」ということはそういうことなんだと思ってます。
で、それをきちんと「表現」したい。

流れる大きな川に投げ入れてしまうのではなく、ある一定の文字数できちんと表現しようとするとけっこうな時間がかかる。
例えば僕はわしとマチを担当したのだけれど、かれこれ2-3日は彼らのことをずっと考えて、音源を改めて聞いて、
文字におこして、のぎちゃんを思い出して、消して、また文字におこした。
そうしていくうちに、当日がどんどん楽しみになった。
メンバーがあげてくる文章もとても楽しみだったし、その文章を読んで改めて音源を聞きなおして、また当日が楽しみになった。

初めて企画をした時の気持ちはそんなんだったんだと思う。
また次の企画がとても楽しみです。

Homewardboundの和訳は「早く家に帰りたい」



***
次のライブまであっという間に1ヶ月を切ってしまいました。
4/4は遅くまで打ち上げで飲んで酔っ払って帰ったので、間違えてなおきのギターを実家に持って帰ってしまった。
あいつはギターの練習をしてるだろうか。

6月はライブができそうだったので、こういう状態になるのがわかった瞬間から
「ライブやりたいときは手伝うので、気にせず言ってください!」
と言ってくれていたdoes it floatに企画をお願いしました。

いや、そもそもここ3-4年、彼らは僕らの周りのベストバンドだと僕は個人的に思っている。
あの疾走感にあの展開とコーラスワークを混ぜられたら最高に決まっている。
そんなわけで彼らを見ながらビールを飲むと、足で刻むリズムがとても激しくなってしまう。

彼らとの出会いは
と調子よく書き始めて、これはまた次の機会にしよう、なんてことを思ったのでした。


****
連休を利用してベトナムのホーチミンに行ってきました。
ホーチミンに行ったのは3回目です。

初めて訪れたのは1人でインドシナ半島をぐるっと回った2001年。
今でもよく覚えているけれど、ホーチミンのゲストハウスをチェックアウトしてカンボジアのプノンペンへ向かうバスを待ちながら
ふと薄暗いゲストハウスのロビーのテレビを見たら、はるか遠いアメリカで飛行機が高層ビルに突っ込んでいた。
9月11日だった。

2回目は野澤先生(アルバムの解説を読んでください)といっしょに訪れた2009年夏。
もう6年も前なのだけれど、ファーストアルバムはリリースされていた。
たくさんの酒を飲みながらずいぶんたくさんの話をした。
主に不明確な未来に対する、グラッグラの僕たちの針路とそこに至った過程と具体的経験の話だった。

そして今回。
6年ぶりにホーチミンに行って感じたことは、ベトナムは変わったけどそれ以上に自分が変わっている、ということ。
息子と嫁が一緒だし、お金の使い方も全然違う。
でもたぶん根本の部分ではかわっていないのだな、と思う。

街をうろつきながらいろいろなことを思い出す。

一緒のゲストハウスだったあのかわいい子は幸せに過ごしているだろうか?
ラオスのバンビエンからベトナムを一緒に南下した二人は元気にしているだろうか?
彼らはたぶんもう40歳を越えていると思う。
16年前僕はホーチミンで小さなギターを買ったんだけど、あのギター屋の女の子は元気だろうか?

僕が訪れた数日前の4/30はベトナム戦争の終戦記念日=ベトナムにとっての開放記念日だった。
今年はちょうど40周年、いまだに社会主義のベトナムの街はそこらじゅうにプロパガンダのポスターがあふれていた。

僕が初めて訪ねた年の20年くらい前は、まだ戦争をしていたんだな。
まだジョンレノンが生きていた頃。


そんな街を息子が駆けまわっていた。

02/28/2015    近況0228 *山岡書いた
今日で2月も終わりですね、企画まであと1ヶ月ちょいです。
エレキギターをこっちに持って来なかったので、家に唯一あるアコギのミニギターで練習してます。
が、ぜんぜん感じがでない。南国気候もあってまったく感じがでません。。。


いくつかのことが重なったので星野道夫さんの作品を読み返している。
昔夢中になって読んでいたころと同じ気持ちと違う気持ちが交じり合っていてとてもおもしろい。
生活しているのだけれど、やはり旅感はでてくるなぁ、と今の生活を改めて振り返っている。

●●
同じくこちらに赴任している本郷さんと二人新年会を開催する。
こちらでは普段2軒目に流れることはほとんど無いのだけれど、付き合いが長い分話が尽きず2軒目へ。
こんな気が置けない関係は、やっぱり大切だなぁとしみじみ思う。

その2軒目でかかっていた曲がとても良かったので店の人に教えてもらう。
不勉強ながらSUB POPのThe Head and Heartというバンドの「Lost in my mind」という曲だった。
さっそくネットにて購入、4月に持ち帰るのがとても楽しみです。



●●●
そんな4月の一時帰国のときに持って帰りたいリストが少しずつ長くなってきている。
TVのアルバムは何とか手に入れたいなぁ。あと、Coquettishのアルバム間に合うといいなぁ。
届いているはずのNude Beachの新作もとても楽しみだし、Muffsの新作やSmith Street Bandの新作もとても楽しみです。

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初めて「旧正月」というものを体験している。
会社からお年玉をもらったり、現地のスタッフに混ざって現地の風習を体験させてもらったり。
もちろん日本と異なることだらけだけれど、新しい年を祝って、その新年が幸せで実りあるものになるように願う、
という根っこの部分は完全に一緒であることを、当たり前なのだけれど改めて体験して、驚いた。

僕は羊年で今年は年男なのだけれど、こちらでは羊ではなくどうやらヤギらしい、街がヤギであふれている。
同い年の嫁と一緒に、35年間信じていた価値観を少しだけ揺さぶられて衝撃を受けたりもした。
村上春樹の羊男ではなく、ヤギ男だったのだ。

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その旧正月休みを利用してオーストラリアのパースという街に行って来た。
前に書いたとおり、パースにはThe Lief EricssonのDaveが住んでいるのです。

初日到着後にDaveとホテルのロビーで再会した時とてもいろいろなことを思い出した。
そしてDaveの運転するとても古いフォードで夕日がきれいに見えて、ビールが最高においしいレストランで乾杯した。
Dave夫婦の推薦する新鮮な魚料理に嫁は大感動していた。

お互い自分の国を離れて、少し違う見方で自分の国を振り返って、同じ境遇だから
特にそういった話で盛り上がって、そして同じようなことを考えていてうれしかった。

Daveの「My Favoriteだ!」と推薦するビールはどれも小さなストーリーがあって、そしてとてもおいしかった。
また近いうちに今度はこっちで会おう!と約束して、バイバイした。
また一緒に乾杯できるのがとても楽しみだ。

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