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09/16/2006    文化祭
fourtomorrowの皆さんお久しぶりです。
勤務している高校では現在文化祭中です。

僕は担任ではないので、お手伝いです。
色々な屋台があります。野球部主催『坊主焼』(たこやき)、
剣道部主催『剣たっきー』。どれも部費に還元されます。


3ヶ月前、去年授業を持っていたある二年生が僕のところに来ました。
「先生、責任者になってもらえませんか」

彼らは最近楽器を始めた連中で、軽音部を作ろうとしましたが、
軽音部は以前「不良」の温床になった→廃部という歴史があり却下、
「写真同好会」という隠れミノを使い、アンダーグラウンドで練習をしてきました。

そして文化祭で初ライブをしたい!ということで、
その責任者になってほしいと。
話のわかる生徒なので名前だけ貸して放置しました。

そして文化祭当日、すっかり忘れていた僕のところに、「手伝ってください」。スタジオで借りた機材が搬入されてきます。

でも、初ライブだから彼らも機材のセッティングが全然分からない。
もちろん僕も全く分からない。おお、モニタースピーカーが客席向いてるよ!
音楽の先生に手伝ってもらって何とかライブ開始です。

近所の苦情を考え音量を下げなければいけません。
ドラム清水君も初ライブで緊張&ガン上がりで壊れんばかり叩き、ドラムの音しか聞こえません。他の連中も必死に演奏しています。

ライブ終了後、メンバーが挨拶にきました。
「めっちゃあがリました。やばかった!ありがとうございました!」リーダー坂口君のハイエース(父運転)に機材をつみ終え、帰っていきました。

何かはこうして始まるのでしょうか。
時間が経てばライブハウスに立つこともあるのでしょうか。
原点を垣間見たような気が勝手にしました。
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03/18/2006    ホテル・ルワンダ
山岡氏前述の映画「ホテル・ルワンダ」をやっと今日観にいった。

映画を観ながら、僕もまた山岡氏と同じように、ルワンダを訪れた時のことを考えていた。

丁度僕らが訪れた時ルワンダは、大統領選挙の真っ最中だった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%AC%E3%83%A1

首都キガリの教会では集会が行われていた。にぎやかな音楽と共に、
次々に人々が壇に上がる。演説をする。

ルワンダはもちろん虐殺後も歩んでいたのだ。


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映画は素晴らしかった。ルワンダと国連やジャーナリストなどの立場を異にする者との関係、虐殺の恐怖、悲しみ、それに立ち向かったルセサバギナの素晴らしさが立ち上がってくる。

漂流帰路にも書かせてもらったように、僕は3年前虐殺記念館という、殺された人々の遺体を保管する場所を訪れた。

そこで僕は来館者のコメントに残されていた「PEACE!」という言葉に、途方も無い脱力感を覚えた。

それは、「無力感」とは少し違う。
それは、どこかの外国人の書いた「PEACE!」と書かれた言葉を、
ルワンダの人々はどう思うか、ということだったと思う。
恐らくそれを見たルワンダの人は、10年前の出来事と、その言葉との間に何の関係性も見出せなかったのではないだろうか?

虐殺のあった10年前にこの世に存在していた、他の国の人間の「PEACE!」という言葉は、当事者には全く届かない、むしろ怒りの対象になるようなものなのではないか、ということである。

その途方も無い距離感に、脱力をした。

"Million Voices"の流れるエンドロールを見ながら、僕は旅行後の自分の生活について考えていた。
恐らくルワンダに行ったことのない他の観客と、
行ったことのある自分について考えていた。

そしてその違いに何か意味はあるのか、と考え、
特に意味は見つけられなかった。

何はともあれ、素晴らしい映画である。
一見をお勧めする。
02/20/2006    西の都から
最近仕事が終わると家にいることが多い。

なぜかというと、足を怪我したからだ。
なぜ怪我をしたかというと、球技大会に出場したからだ。

2週間ほど前、学校で球技大会が行われた。
男子はサッカー。女子はバレー。

ある二年生のクラスが気管支炎でメンバーが足りなくなり、
当日急遽出場が決定した。

就職間際の五月に行われた球技大会(バレー)では、
ジャンプサーブまで繰り出し三年九組を見事準優勝に導き、ひんしゅくを買った。
今度はサッカーで「夢よもう一度」と思ったわけだ。

一試合目、左サイドバックで出場。中学でJリーグ開幕の波に乗り、
半年間サッカー部に所属した僕は、往年の動きをイメージで
描いていた。そう、スポーツにおいてイメージは大事だ。

だが、体が付いてこない。イメージした動きの半歩後を自分が動く。
なんと人生初のサッカー空振りを記録。
一試合目、辛くも勝利したものの、「使えねーな」視線が僕を指す。

「くたばれ、ガキども」と二試合目、強烈なプレッシャーで高校生を圧倒。
テクニックを気力でカバー。

前半終了直前、敵陣地で相手が僕を抜こうとしてくる。
足を出す。ボールが引っかかる。相手も引っかかる。

その瞬間、僕の右足は、ありえない方向に曲がった。

試合が中断したグラウンドを、車が疾走してくる。
そのまま日本赤十字病院に搬送される。


以後余儀なく松葉杖生活を強いられている。
授業にはリュックで行く。
通勤は上司(49)の送迎である。
廊下では「アホやな」と後ろ指を指されている。

24歳になり、体は確実に衰えている。
fourtomorrowの皆さん、大合奏会では年齢を踏まえたプレイをお勧めします。
12/28/2005    京都的映画ライフ②
京都には映画館が人口のわりに結構多い。
京都市の人口は150万人、東京だったら八王子市とほぼ同じです。

でも京都には映画館が「ぴあ」に載るようなものだけで
10位ある。そのほか演劇や、ライブハウス、本屋や酒場という
「文化的」消費が多い土地柄のようだ。

映画についていえば大阪・その周辺をあわせれば東京に住んでいた時とほぼ同じ映画を見ることができる。
といっても、僕はそんなに「映画ファン」ではないのだけれど。



先日滋賀の滋賀会館に「サヨナラCOLOR」を遅ればせながら彼女と見に行った。竹中直人監督である。

勤務医・佐々木(竹中直人)の元に、子宮がんを患った未知子(原田知世)が入院してきた。未知子は、佐々木の高校時代の同クラスメートで、初恋の人である。

しかし未知子は他のクラスメートのことは覚えているのだが佐々木のことは記憶から抜け落ちている。思い出したことは「ササ菌」と呼ばれていたことだけ。しかし治療を続けていくうちに未知子は佐々木に心を開いていって・・・

基本的にこんな話。映画として"素晴らしくは"ないことはストーリーから感じられると思う。竹中直人は監督として、役者として"素晴らしくは"ないと個人的に思っている。



話変わってこの映画、竹中直人がハナレグミの永積タカシの家に遊びに行ったときに、「サヨナラcolor」という曲を聴かせてもらい、いたく感銘を受け、作った映画だそうだ。

そんな竹中に誘われて、永積をはじめスチャダラパーやクラムボン、忌野清志郎や、中島みゆきまで出演者に名を連ねている。クラムボンはサントラにも参加している。


竹中直人はいわゆる映画好きだったそうだ。映画が好きで、「黒沢組」や「小津組」という映画の「組」という言葉にずっと憧れを持っていたらしい。
そして竹中がいる映画の現場はとても楽しいらしい。映画をとり終えた後でも仕事を超えた関係がそこに生まれるそうだ。
たびたび「竹中組」の同窓会も行われるらしい。

竹中直人の映画をなぜかいつも見てしまう。わいわいがやがや、「映画、作ってみたいよね」的な空気が、自分の中の、ある憧憬を呼び起こすような気がするからかもしれない。