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12/20/2005    京都的映画ライフ①
僕の住む京都市の南は、映画『パッチギ!』の舞台にもなったほどの
コリアンタウンだが、その一角にいわゆるミニシアター系映画館、京都みなみ会館が存在する。パチ屋の隣、国道1号線沿いという凄まじい立地である。

採算をとるのは不可能に思えるラインナップを、常に上映している奇妙な映画館である。
なぜかロビーからラーメンやピザの出前が取れるというところからも、この奇妙さを想像していただきたい。



先日もみなみ会館は「いつか読書する日」という邦画を突如リバイバル上映し始めた。
田中裕子、岸部一徳主演の、中年の男性女性の積年の恋の物語である。

これだけでもおかしな話だが、あろうことにみなみ会館はそのご両人、
つまり田中裕子と岸部一徳を初日の舞台あいさつに呼んでしまった。リバイバルの初日に、である。


飲み会明けの痛む頭を抱えながら、僕はみなみ会館に向かった。時間は朝の9時。映画はなかなか良かった。

高校時代に付き合っていた田中と岸部、田中は牛乳の配達人、岸部は公務員になる。長崎の長い坂を上った岸部の家に、毎日牛乳が配達される。岸部はそれを一口だけ飲んで捨てる。

岸部が結婚した妻は病床に伏し、毎朝田中の配達の音で目が覚める。
岸部はその横でじっと眠っているのだが、次第に妻は二人の押し込められた思いに気が付くようになっていく。

配達が終わり、空が明るくなり、パート先のスーパーへ自転車で急ぐ田中の横を、毎朝岸部の通勤する路面電車が追い抜いていく。

一人の日常を生きていく田中の強いまなざしが僕は好きだ。



映画が終わると、ぱちぱちと拍手が響いた。100人も入れば一杯の小さな映画館だ。場内は非常に親密な雰囲気だった。そこへ田中裕子、岸部一徳が入ってくる。

田中裕子は、はにかみながらぽつりぽつりと、独特の間で話す人だった。この人はどんなときも自分の言葉で話す人だ、と思った。
短い話が終わり、深々と僕らに向かっておじぎをした。
顔を上げたその時の困ったような笑顔が印象的だった。


そして、映画館の禿げた館長の、こちらまで緊張してしまいそうな
がちがちのあいさつも印象的だった。汗をかきながら夢のよう、夢のようと5回くらい繰り返していた。


そんなわけで、僕は京都みなみ会館が好きだ。

                             
12/01/2005    watts
僕は音楽について殆ど何も知らない。
バンドをやったこともないし、ライブにも数えるほどしか行ったことがない。

しかし西荻窪wattsが閉店すると聞いて、何かそれは僕にとって特別な出来事のように聞こえた。

月曜、3時に授業を終え、自分の机に戻り、2分で学校を出た。
最寄りの駅まで軽く走った。京都駅から3時20分の新幹線に乗った。
西荻窪駅からwattsに向かって歩いていると、向こうから南雲さんが笑顔で走ってくるのが見えた。


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初めてwattsに行ったのは3年前、長期旅行に行く直前だった。
旅先から送る文章をフライヤーに連載する、ということになり、「メンバーに話通しといたし、一回遊びにきなよ」と山岡さんに言われ、大学の帰りに西荻窪で電車を降りた。改札には山岡さんが咥え煙草で迎えに来てくれていた。

連れられて行った夕暮れ時のwatts前の道路には、様々な人々が集い、酒を飲んでいた。ハンチングをかぶった人が山岡さんに話しかけてきた。
僕にも握手を求めてきた。ツトムさんだった。

訳もわからず階段を降り、手にスタンプを押してもらった。
重いドアを開けると、アンプを通したギターの凄まじい音と、熱気が漏れてきた。
ビールを飲みながら、激しい音と、汗と、人々の突き上げる腕と指を僕は後ろの方で眺めていた。
fourtomorrowのライブが始まった。大学1年の時にインドで出会った山岡さんは、新宿の飲み屋で話していた時とは全く違って見えた。
ああ、これがこの人の「場所」なんだ、と思ったのを覚えている。

僕はその数ヵ月後旅行に行き、一年後に日本に帰ってきた。
大学を卒業するまでに試験を受け、
京都で教員になることになった。
その間wattsに通い、沢山の人々に出会い、話をした。
今僕は京都に住み、高校の教員をしている。



月曜、東京に向かう新幹線の中で、ビールを飲みながら思った。
初めてwattsに行った時に、僕が感じたものは一体何だったのだろうか?
そして僕はなぜ京都に住むことになり、今東京へ向かっているのだろうか?

あの時見たものは、僕がそれまで見たどの風景とも違っていた。
そこは種々雑多な人々の、様々なエネルギーに満ちていた。
何かを生み出そうとし、何かが生まれようとする胎動は、それまで僕の感じたことのないものだった。
僕が漠然と求め、心焦がれ、手に入れることができなかったものを、
そこに居る人々は手にしているような気がした。



僕はバンドをやっているわけではない。
西荻窪wattsでライブを見た、不特定多数の観客の一人である。
僕はあれから自分のための場所を獲得することができたのか、よくわからない。
wattsにずっと集っていた人々が、閉店したことに対して、どんな深い思いを抱いているのかも、よくわからない。

ただ、そこに居た魅力的な人々は、
無防備な衝動を抱え、行き場のない迷いや恐れに満ちていた
僕の背中を押してくれたような気がする。

wattsが閉店した。残念に思うと共に、
心から感謝をしたいと思う。
11/21/2005    先日
職場の同僚の日本史の先生と土曜日、
奈良へ法隆寺を見に行った。

初めて知ったのだが、どうやら奈良時代にも
芸をもって生業としていた職業集団が居たらしい。
やはり笑いの本場、上方だ。



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奈良時代も吉本の天下だったようだ。
11/15/2005    エア・フォース・ワン
ブッシュが来る。
そのニュースで京都の町は騒がしい。

例年紅葉見物の客を見込んで、商戦準備を整えるはずの
観光業界は打撃を受けているようだ。

夜の空をヘリコプターが飛び、
京都駅も地下鉄も警官の姿が目に付く。
道は検問検問で、車通勤の同僚は30分早く家を出ている。

ブッシュが来ると聞いて懐かしく思い出したのは、
2年前、グラウンド・ゼロを見た時のことだった。

廃墟はもう完全に復興体制に入っており、地下鉄のハブ駅も完成していた。僕と同じような観光客が写真を撮っている。ビジネスマンが目もくれず金網の横を足早に歩いている。
僕はマンハッタンのど真ん中の奇妙な空白を、ぐるりと一周した。

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先週の月曜、「現代文特講」という三年生対象の授業で,
坂本義和「テロと『文明』の政治学」から出題の入試問題をやった。

印象的な一節があった。少々長いが引用する。
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